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新しい希望、未来都市 北区

文化財

文化財

関門城

Gwanmoon castle1 Gwanmoon castle2 Gwanmoon castle3 Gwanmoon castle4
  • 国家史跡 第48号
  • 関門城は、北区中山洞(東大山)から蔚州郡斗東面月坪里(鵄述嶺望夫石)までの12㎞に及ぶ新羅の長城で、南方と東方の海から侵入する倭寇を防ぐべく、新羅の聖徳王21(722)年11月に築かれた毛伐郡城である。

於勿洞磨崖如来坐像

Mae Yeorae Seated Statue in Eomul-Dong1 Mae Yeorae Seated Statue in Eomul-Dong2 Mae Yeorae Seated Statue in Eomul-Dong3 Mae Yeorae Seated Statue in Eomul-Dong4
  • 市指定有形文化財 第6号
  • 於勿洞磨崖如来坐像は、方岩と呼ばれる巨大な岩に日光・月光菩薩が挟侍している薬師三尊仏を高く浮き彫りにしたもので、統一新羅時代の作品である。本尊である薬師仏は長方形の量感のある表情をしているが、目鼻立ちがやや摩耗したのみ、洗練された様相を呈している。

朴尚鎮義士生家

Park Sang Jin’s Birthplace1 Park Sang Jin’s Birthplace2 Park Sang Jin’s Birthplace3 Park Sang Jin’s Birthplace4
  • 市指定有形文化財 第5号
  • 固軒朴尚鎮は、陰暦1884年12月7日、蔚山広域市北区松亭洞355番地、密陽朴氏の承旨時奎の長子として生を受けた。日本帝国主義時代の1915年7月15日、大邱の達城公園で秘密決死隊である大韓光復会を組織し、総司令官として主権回復と祖国光復のために目覚ましい活動を展開したものの、陰暦1917年2月、金ジョングクの密告によって日本警察に逮捕された。

新興寺旧大雄殿

Ex. Daewoongjeon of Shinheung Temple1 Ex. Daewoongjeon of Shinheung Temple2 Ex. Daewoongjeon of Shinheung Temple3 Ex. Daewoongjeon of Shinheung Temple4
  • 市指定有形文化財 第9号
  • 新興寺旧大雄殿は、本来建興寺の大雄殿として、新羅の善徳女王4年(635年)に明朗祖師が創建したものと伝えられており、建興寺は山中深く位置していることから文禄・慶長の役の際、僧兵活動の拠点となった。蔚山地域で僧軍動員記録の持つ唯一の寺であり、文禄・慶長の役の折焼失したものを仁祖24(1646年)兵馬節度使であった李伋が重建した。

中山洞古墳群

Jungsan-dong tombs1 Jungsan-dong tombs2
  • 市指定記念物 第9号
  • 中山洞古墳群は、三韓時代から新羅時代にかけて形成された大規模古墳群であり、同時に大規模な大型墳が密集している。1991年の発掘調査の過程で、木棺墓・積石木槨墓・竪穴式石室墓・横穴などの様々な古墳の構造が確認され、高坏・長頚壺・短頚壺・鴨形土器・環・大刀などが発見された。

牛家山柳浦報烽燧台

Wooga Mountain Yoopo Bongsudae1 Wooga Mountain Yoopo Bongsudae2 Wooga Mountain Yoopo Bongsudae3
  • 市指定記念物 第13号
  • この烽燧台(狼煙台)は、東海岸(日本海岸)に位置する沿岸烽燧のうち間烽の一つとして機張の南山から林浪浦-阿里浦-爾吉岬-ハサン-加里山-川内-南木川-柳浦を経て、慶州の下西知につながる蔚山の最後の地点に位置しており、隣接した柳浦石堡の別名としても用いられた。

柳浦石堡

Yupo Seokbo1 Yupo Seokbo2 Yupo Seokbo3
  • 市指定記念物 第17号
  • この城は李氏朝鮮王朝前期に築かれた石堡であり、朝鮮王朝実録によれば、倭寇の侵入を防ぐべく文宗の即位年(1450年)に初めて木柵を設置しはじめ、世祖元年(1455年)に完成した。しかし、端宗の即位年(1452年)に再び石造で改築することが議論されはじめ、世祖5(1459)年に完了したと伝えられている。

常安洞支石墓

Sangan-dong Dolmen1 Sangan-dong Dolmen2
  • 市指定記念物 第30号
  • 常安洞支石墓は、碁盤形の1基で常安洞新沓村の耕作地にある。蓋石は花崗岩で地上に水平に置かれており、長さ210㎝・幅170㎝・厚さ100㎝ほどで、度であり、覆い石の上に小さな石擦って丸く板知る状の腥血が10以上である。この性穴は、豊かさと多産を意味するか、太陽を象徴だと思う。蓋石の上には小さな石でこすって丸く掘った10個あまりの星穴が確認されている。この星穴は豊穣と多産を意味するか、もしくは太陽を象徴しているものと見られる。

倉坪洞支石墓群

Changpeong-dong dolmens1 Changpeong-dong dolmens2
  • 市指定記念物 第31号
  • 倉坪洞支石墓は、倉坪洞ナンゴルマウルの丘陵に1基、耕作地の畦に1基があり、互いに300mの間隔がある。蓋石は花崗岩で地上に斜めに置かれており、畦にあるものは長さ210㎝・幅210㎝・厚さ90㎝ほどで、支石は確認できず、丘陵にあるものは長さ180㎝・幅150㎝・厚さ90㎝ほどである。

藿岩(ワカメ岩)

Kwakam (Seaweed Rock)1 Kwakam (Seaweed Rock)2 Kwakam (Seaweed Rock)3
  • 市指定記念物 第38号
  • 藿岩は、神鶴城将軍朴允雄が采地として授かった岩であると伝えられている。高麗の太祖王建が後三国を統一した際、朴允雄は戒辺城の城主の任にあった豪族だが、太祖13年に高麗に降って高麗の建国を扶けた人である。

達川鉄場

Dalcheon iron ore1 Dalcheon iron ore2
  • 市指定記念物 第40号
  • 北区達川洞山20-1番地一帯に三韓~李氏朝鮮時代の鉄鉱石の原産地と推定されており、鉄鉱石の産出は、国家の基盤産業であり三国時代の国家の原動力になったといえよう。とりわけ、慶州黄城洞遺跡から出土した鉄器のヒ素(As)含有量が、達川鉱山の鉄鉱石のものと類似している。

中山洞集落遺跡

Jeungsan-dong Settlement Ruins1 Jeungsan-dong Settlement Ruins2
  • 市指定記念物 第41号
  • 中山洞集落遺跡は656-1番地一帯にあたり、三韓〜三国時代にあたる集落遺跡で、近隣に位置する市記念物第9号の中山洞古墳群と関連のある遺跡であり、分布地域のうち、二化中学校の敷地を対象とした蔚山発展研究院の試掘調査において、住居地・作業場・防御施設等が確認され、この時代の集落の構造と範囲、変遷過程をうかがうことができた。

江東花岩柱状節理

Gangdong Hwaam Columnar Joint1 Gangdong Hwaam Columnar Joint2 Gangdong Hwaam Columnar Joint3 Gangdong Hwaam Columnar Joint4
  • 市指定記念物 第42号
  • 花岩柱状節理は、北区花岩洞花岩マウル(花岩)の海浜一帯に分布する遺跡であり、新生代第3期中新世(約2,000万年前)に噴出した玄武岩溶岩が乱流を起こしながら冷却する間、流動方向や等温面に垂直の方向に群集柱状体を形成したもので、成因的に高い学術的価値を持っている。

大安洞鍛冶場跡

Daean-dong Soeburi Ruins1 Daean-dong Soeburi Ruins2
  • 市指定記念物 第44号
  • 三韓時代以降、嶺南地域最大の鉄の産地であった達川鉄場産の鉄を用いて鉄を生産していた鍛冶場跡は、蔚山・慶州・密陽・清道一帯に約120基あまり存在するが、そのうちの1基であったと判断される。山の麓に位置しており、山と小川が隣にあり、鍛冶作業に必要な燃料(炭)と水を円滑に供給することができた。

梅谷洞生活遺跡

Maegok-dong Living Ruins1
  • 市指定記念物 第45号
  • 蔚山梅谷洞生活遺跡は、北東の東大山(海抜444m)から東川に向かって南方に広がる緩やかな丘陵に分布する遺跡で、2002年から2004年までの3度にわたり市が発掘調査を実施し、遺跡の性格は無文土器時代の住居地、三国時代の住居地と古墳、側口部の炭窯、高麗時代の墳墓、李氏朝鮮時代の炭窯などに分けることができる。